Apéritif
「あなたは何になりたいの?」「夢は何?」
わたしたちは、小さい頃から当たり前みたいに
「なりたい自分とか職業」ってやつを考えさせられてきた。
プロ野球選手、アーティスト、社長、有名人、消防士、研究者、石集めマン、ドアノブ温めるマン、何もしない人、ウインナー弁当ニキ、無職。
でも、“何者であるか”って、そんなに重要なんだろうか。
ましてや、それを必死に証明するなんて……
ナンセンスすぎて呆れる。
なにをやってる人か。なにができる人か。
そういう世界に生きてたら、
「何かできなきゃダメだ」
「自分の存在を認めてもらわなきゃ」
──って、誰だって思っちゃうじゃんか。
そんな窮屈な世界でウヨウヨしてたら、
“自分には何の価値もない”って、
みんな拗ねちゃう。
「わたしは何もできないから」
「得意なことなんてないです」
──そんな謙虚さ、もういらないのさ。
何もできない人なんて、ほんとはいないし、
できる・できないでその人の価値は決まらない。
わたしなんて信号待ちの間に立って寝れるし、
1人でイルミネーション観に行けるし…….。
まーそれは置いといてたとえば、
ワッとその場で笑わせるのが苦手な芸人さんが、
“つまらなさ”っていう面白さを武器にして活躍してるよね。
あれって、「その人が誰なのか」っていう理解があるからこそ成立する芸だと思うの。
伝わるかは分からんけど、
そんな感覚を書きたかった。
Débordement
「夢を叶えるには、何をすればいいですか?」
「どうすれば、あなたのようになれますか?」
一番温かいと思う返事は
「あなたは何をしたいの?」
──それは、こういう問いでもある。
・どんなことに夢中になれる?
・誰と過ごしたい?
・どんな時間が好き?
「すべきかどうか」なんて、誰も知らない。
でも「やりたいかどうか」なら、あなただけが知ってる。
自分が大切にしたいものが、ブレずに芯としてあれば、どんな状況でも、どこにいても、自分のままでいられる。
流されず、惑わされず、自分の意思で選んでいける。
わたしは、音楽が好き。
聴くのも、プレイするのも、見るのも触るのも。
こんなの欲しいなってなったら自分で作るし、
色んな食べ物組み合わせたり実験が好き。
いたずらで人を困らせるのが好き。
くだらない話を真顔でする時間が、大好き。
1番の願いは、歌っていること。
死ぬまで、ずっと。
星って目立たないけど、ちゃんといつでもそこにいるじゃん?
苦しくなって泣きたくなって、空を見上げても、かすかにずっと光っててくれる。
……わたしも、そんなふうに在りたい。
ただいつでもそこにいるだけの、消えない希望。
あ、でも寝落ちして光消えちゃうから、ほどほどに構ってね!
それが、“なりたい自分”じゃなくて、
“ありたい自分”
音とか、言葉とか、対話とか、空間とか、
そういうものを通じて、傷を分け合える存在。
そのために、わたしが何をどれだけ持ってるか、何ができるかとか、何者かであるかなんて、関係ないんじゃないかな。
役割がハッキリしてないと不安になる夜もあると思う。
でも、わたしはわたしでありたいだけなんだ。
Mélopée
いい人じゃなくていいし、完璧じゃなくていい。
わたしは真っ当なクズでいたいし、昼寝もするし、頑張ってもポンコツのまま。
それでも愛だけはずっと手放さないし、
地球儀回して、強く優しくなりたい。
SNSとかネット社会で、他人と比較ばっかするこの世界で、何かにならなきゃいけない気がして、無理に頑張ることないと思うのさ。
「なんか分からんけど、あの人がいると安心する」
とか
「なんか今あの人に会いたい」
とか、そんなんで十分。
というかそれが理想。
肩書き、職業、スキルとか、
それ全部なくしてパンツ一丁になったとき、
あなたは“誰”ですか。